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by Eclairer_Japon
| 2015-01-19 21:19
| 時々に想うこと
神戸に帰った頃が、成人の日だったからもあるだろうけれど、1月17日を前に、テレビでも新聞でも、神戸は震災の話でもちきりだった。
あれから、20年が経つなんて、信じられない思いがする。
あの朝2階で寝ていた私は、揺れで起きて、すぐに階段を下りた。
思えば、階段を照らしていた電燈の笠が割れて、ガラス片が落ちていたと思うのだが、素足で下りた私も母も、ケガはしなかった。
近所の人が数人、懐中電灯を振りながら名前を呼んでいて、「はーい」と答えながら玄関扉を開けようとしたが、地震で家自体が狂ったのか、引き戸がなかなか開かずにパニックになってしまった。
私は得体のしれない恐怖にかられて、必死でドアをあけようとしていたが、母は戦争をくぐりぬけてきただけのことはあり、いたって平静で、トイレに行ったりしていた。
やっと扉があくと、十人以上の人が道に、毛布をかぶった状態で立っており、誰かが家から持ち出してきたラジオが鳴っていた。
地震ということはわかったけれど、何が何かわからず、私は家にもどって着替えると、散らかった一階を片付けることにした。
ふつうなら職場に行くところだが、こんな状況で働きに行けるものかを考えているあいだに時間が経ち、ようやく10時半ごろになって、「やっぱり行ってくる」と言って、職場に向かった。
職場には私同様、徒歩で通える人だけが来ており、めちゃくちゃになった事務所を片付けていたら、長田のほうからバイクで来た人が、「第一勧銀も壊れ、センター街のアーケードが崩れている」と見てきたことを話してくれた。
第一勧銀のビルは大正時代かもっとずっと前に建てられた石造りの建物で、とても壊れそうにないものだったから、本当のこととは思えなかった。
我が家は幸いに半壊状態で、住める状態だったので避難所には行かなくてもすんだ。
電気が通じたら、ご飯も炊けるし、電気カーペットも使えたので、避難所に行かざるを得なかった人たちに比べれば、天国にいたようなものだった。
たくさんの家が倒壊したので、お金持ちもそうでない人も、家が無くなった人は皆、避難所に行った。
私の親友の両親も、家が倒壊したので避難所に入ったが、お母さんのほうは避難所内でのリーダーになり、お父さんはハワイへ脱出してゴルフをしていたのだそうだ。
地震のあとすぐに、友人の消息を聞きに彼女が通っていた教会に行って皆で祈ったのだが、人々が口々に「地震のあったのが未明だったので良かった」と言っていた。
さもなければ、たくさんの身元不明者が出ただろう。
また、「地震があったのが神戸で良かった」とも言っていた。
これが東京などだったら、被害はもっと大きくなっていただろうと。
たくさんの死者・行方不明者が出たけれど、阪神大震災を教訓にしてその後、防災計画が改良・改善された。それで少しは、亡くなった方々も報われた気持ちになられたのではないかと思う。
1月17日から始まった苦難を、いつまでも決して忘れずに、亡くなった方々のご冥福を祈り続けたいと思う。
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by Eclairer_Japon
| 2015-01-16 07:00
| 時々に想うこと
年始に帰らなかったので、4日間ほど帰省してきました。
暑かったので、羽田空港ではアイスコーヒーをゲット。
9日。神戸空港には16時半着。
伊丹空港を選んでも神戸に着く時間は同じくらいなので、羽田で1時間待って、神戸空港行に搭乗しました。
小さいけれども、可愛い空港です。
10日。友達と舞子ビラに一泊。日本料理の有栖川さんで食事。
話すことは尽きず、寝落ちしたのは午前3時半。
翌日は、二人が大好きな大丸百貨店へ。
昼食は、栗原はるみさんの「ゆとりの空間」で・・・
12日は、映画「バンクーバーの朝日」を見たかったのだけれど、母が胃が痛むとか言い出したのでキャンセルして、サッカーアジア杯を観戦。
勝つのは当たり前と思って観ていましたが、何よりも遠藤のゴールが嬉しかった~!
13日。伊丹~羽田経由で帰宅。
羽田空港で、新蕎麦ののぼりをみつけて昼食。
私が留守の間に降った大雪のために、街は雪に沈んでいました。
我が家も例外ではなく、雪に埋もれていました。
一階の窓が雪に埋もれた状態がこちらです。
まったく雪のない神戸の街から、この状態に突然ワープすると、本当に悲しい気持ちになります。
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by Eclairer_Japon
| 2015-01-15 14:41
| 日記
2014年12月31日、雪も少なく爽やかな目覚めでした。
皆さんも、大晦日ということで、ソワソワした気分でお過ごしのことと存じます。
今年はFBに参加したことで、多くの知己を得ることができ、とても感謝しております。
ありがとうございました。
本日は、区切りの31日ということで、色々計画をしていることがあるのですが、まず手始めに、皆様への感謝と、来年の抱負を申し上げることにしました。
今年は後半からエンジンがかかり、やっと進む方向が決まった年でした!
「ウイメンズライフコーチ」として、対面でのコーチングセッションと同時に、手帳というツールを使ったセルフコーチングを広めて行きたいと考えています。
「ウイメンズライフコーチの手帳術」
http://mb.mrs.living.jp/eclaire-japon
こちらで毎日、手帳術やモチベーションアップについて
書いています
女性をターゲットにしているのは、子供と夫(男性)に影響力があるからです。
女性が知恵を持って、家庭マネジメントができたら、日本のボトムアップにつながると私は信じています。
来年から特に、子供のいない主婦にかかわりを深くしたいと思っています。
私自身が37歳での晩婚⇒5年の不妊治療⇒子どものいない人生という道を歩いてきたので、「子供がいる人には何も言えない」という肩身の狭さを感じてきました。
自分で選んだ道でもないのに王道からはずれて、空しさを感じている女性に、本音を吐ける「共感の場」の必要性を実感しています。
以上、抱負を持てば持つほど思うのが、「声は大きくしなくてはいけない」という思いです。
どんなに良いことを書いていてもブログが知られなくては読んでいただけません。
これから毎日、できるだけ読みやすい記事を書き、来訪者数、PV数を上げて行きたいと思っております。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
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by Eclairer_Japon
| 2014-12-31 13:33
| 日記